日本社会で日々を生きている上で、ただ女性であるが故に理不尽な扱いを受けたと感じたことはないだろうか?
 
 
このJ.S.ミル著『女性の解放』は、
その不満に答える本である。
 
 
「なぜ女性の人権は低いのか?」
「それは正当なことなのだろうか?」
「一体なぜそのようなことになっているのか?」
 
それらの疑問に対して、深い示唆を与えてくれる不朽の古典。
 
 
 
この本がイギリスで刊行されたのは1869年。
徳川政権が終わり、
明治維新がおこったのが1868年。

なんと日本がようやく民主主義化し始めた頃に、ミルは早くも女性の人権を訴えていたのだった。
 
 
 
日本の江戸時代では、
封建制度によって、生まれた時から身分や職業が決められ、死ぬまでの一生の間もそれが完璧に固定されていた。
 
好きなことを仕事にして生きていくなど論外の時代。
そんなことを言うやつは狂気の沙汰と見なされて断罪である。
 
職業選択の自由はなく、
士農工商の順に身分は固定され、
近代民主主義の理念である「自由・平等」とは程遠い状態だったのだ。
 
 
 
一方で、ヨーロッパでは近代民主主義主義革命がおこり、法のもとに全ての国民が平等であり自由という状態が形づくられていった。
 

ここで興味深いことは、
日本のみではなくヨーロッパにおいても、女性は男性に隷従しており、まったくもって不平等であったという事実だ。

近代民主主義革命後であってもそのことは続いていたのである。

元来女性は暴力により掠奪され、父親からは売りわたされた。
夫は妻の生殺与奪権をもっており、いかに夫に虐待されても、そのうえに姦通が加わらなければ、妻は解放されない、など。
 
 
 
こうして、世界の歴史を見てみると、男女不平等というのは、決して日本特有の問題ではなかったということが言える。
 
現在では、
世界経済フォーラムによると
「男女平等ランキング2018」で、
149カ国中日本は110位。
G7において圧倒的に最下位である。

だが、今上位の国においても元々は男女不平等というのは存在していたということが、この古典『女性の解放』を読むとわかる。
 
さらに歴史をさかのぼれば、
今から2500年前の男社会である古代ギリシャでも、男女不平等は存在していたのだ。
 
 
そこに一石を投じたのがミルである。
 
「女は男に生来的に劣っているのだ。だから芸術も政治も女性の活躍は皆無なのだ」という世論に対して。

「本当に生まれつきそうなのか? それは生まれつきなことと、環境や教育によってつくられたことをごちゃ混ぜにしていないか?」と。
 
 
つまり、

女性が今まで活躍してこれなかったのは、社会が女性を隷属的な状況へと促し、また女性本来の才能を発揮させる教育も行なってこなかったからではないか?と。

実際に、日本では江戸時代では男性と比べて女性の識字率は非常に低かった。

1901年になって初めて女子大学ができた。

福沢諭吉も女性の地位向上を声高に訴えていた。
 
 
ミルの他の著書『自由論』や『大学教育について』ともリンクする主張は、自分の才能を自由に伸ばして使うことが、人間にとって、また女性にとっても、幸福の源泉となり、

また逆にそれを束縛し制限することは不幸の源となるということだ。
 
ミルは女性本来の才能を発揮させる環境と教育を整えることで、女性全体の幸福の実現と、社会全体の進歩発展を倍加させようとしたのだ。
 

人類の半分は女性なのだから、

この女性の抑圧された才能が開発され、発揮されることは人類にとっての大きな貢献であると。
 

ミルが女性の可能性について論じたことは正しかった。
それは今や芸術や政治など様々な分野で活躍する世界の女性達を見ればわかるだろう。
 
 
 
 
人間とは、
今ではあり得ないと思うようなことでも、当時においては平気でそれをしている社会的な動物なのだ。

常識を犯して、タブーから歴史は進歩する。
 
 
つくづく人間は面白いなと思う。
 
 
YOERU.

Translate »