言わずもがな、一万円札になっている福沢諭吉が著した「学問のすゝめ」。

明治5年から書かれたこの書は、ベストセラーとなった。
 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」

「されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。」

生まれながらの身分の上下はなく、衣食住も足りて、自由を持つのにも関わらず、何故世の中には賢い人もいれば愚かな人もいれば、貧しい人もいれば富める人もいるのか?

それは火を見るよりも明らかで、

物事の道理をよく学んでいるか、学んでいないかである、と。

物事をよく学んだ者は人格も磨かれ豊かさを享受できるが、

無学な者は貧乏になり、人に使われる下人となる。

学ぶか学ばざるかは、本人の意志により選択できることであり、その選択こそが、人生で得られる結果となる。

つまり、人生は自分次第でより良く生きることができる、ということだ。

 
 
人は、「人・本・旅」から学ぶことができる。

他の人はどう考えるのか?

昔の人はどう考えるのか?

世界の人はどう考えるのか?

人は学ぶことで、

空間軸と時間軸を拡げて視野を広くすることができるのだ。

この視点を高くすることが、物事の在りようがよく見え、世界がわかってくることに繋がるのだ。

それを学ぶ格段の方法は「本」である。

読書だ。

その中でも古典が最強である。

歴史のふるいにかけられても尚残っている古典。

人・本・旅の中で最もコストパフォーマンスに優れており、外れもなく、いつでも読める。

 
福沢諭吉はこうも言う。

「然るに、無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに慾は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法をのがれ、国宝の何物たるを知らず、己が職分の何物たるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁昌すれば一国の益は為さずして却って害をなす者なきに非ず。かかる馬鹿者を取扱うには、とても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威し、一時の大害を鎮むるより外に方便あることなし。

今まで自分で勉強することを怠って、物事を深く学ぶことをせず、できることといえば食べて寝て起きることのみ。

無学のくせに欲深く、国の法が何のためにあるのかも知らず、そこからうまく逃れようとし、自分の仕事がどう役立っているのかにも目を向けず愚痴を放ち、子供を産めばその子へ生きる道を教えることも知らず、恥も法も知らない馬鹿者だが、その馬鹿者の子孫が繁昌すれば国の為になるどころか、逆に害をなす者になり得る始末。

こういった馬鹿者には道理を説いても無駄であり、不本意ながらも力で威す他ないのである。

と、辛辣な言葉をつづる。

それほど、学ぶことは子々孫々に至るまで影響を及ぼすということであり、自身の身だけのことでなく、国の将来にも影響するということを自覚せよ、ということだろう。

自覚あるものが世界を動かすのだ。

では、何のために学ぶのか?

賢くなるためか? お金持ちになるためか? 偉くなるためか?

否。

人のお役に立つためである。

学びとは人の役に立って完了なのである。

YOERU.

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