古典は国境を超える。

音楽と同じように。

世界のどこの国の人々にも愛されている。

古典とは何か?

引用。

「ギリシャ、ローマ典籍とか、中国古代の聖賢の書とかをさし、第二義的には、各時代の最高の作家、作品をさしているようである。いずれも、単に古い書物という意味ではなく、典型たるべき、最高級の作品をさしている」

実は古典とは、本来的には紀元前にあたる時期の書物のことだったということである。

さらに、古典の性格について。

「古典は、これを火にたとえてみると、天をこがすような猛火ではない。いつまでも、灰の中にあって、あたたかさを喪わない埋火である。」

「また水にたとえてみると、船をくつがえすような怒濤ではない。いつもかわらず、岩の間からこんこんと湧き出る清水である。古典というものは、はげしく、目立つものではなく、おだやかな、しみじみとしたものである。」

「時の試練と、歴史の批判に堪えてきたもののみもつ安定と調和と、そしてつきることのない滋味がある。」

これ以上なにも言うことはないだろう。

作品の良し悪しというのは、その作品を享受する側の感性によって大いに左右される。

作品自体の価値があるというよりも、作品自体に価値はなく、その価値は鑑賞者によって決まるという見方をしても、あながち間違ってはいないだろう。

だが、その作品のもつ本質的な価値というのはないのだろうか?

それに対しては、やはり時間の経過こそが、その作品の本質的な価値の有無を正しく判断する最良の基準だといえる。

その時代特有の社会情勢や流行、それに伴った人々の趣向も、時代情勢が変われば変化する。

そういった様々な変化があっても尚、人々の心に響き続ける作品には、人間的な普遍性が存在するといえる。

その本質的な、普遍的な、作品こそが良書であり、

時代を超えても読み継がれ、人々に新しく現実を生きて創造を起こす活力を与える源になり続けるのだろう。

それが古典だ。

YOERU.

Translate »